眠らされない日本人

この世を選んで生まれた僕たち日本人は、一体何の為に生きているのだろうか…

この世で最も大切なものは、一体何だろうか。

ヒトがこの世で生きる為には一体何が必要になるだろうか。

家族・友人・勉強・思想・健康・体裁・信仰・恋愛…

ヒトは、大人になり、様々なモノに影響を受ける。

そして今、僕たちに最も強烈に降り注ぐモノ。

それは、ジョウホウ…

 

理想郷メディア

僕たちは、生まれてからずっとテレビがあった。

テレビと共に育ったといっても過言ではない。

誰かと話す話題のほとんどは、テレビやそれに出ている芸能人やタレントの話。

皆が何の疑いもなく見続けてきたテレビ。

ニュース・バラエティー・スポーツ・映画…

それらの情報をタダで見ていた。

テレビで紹介された人や店は話題沸騰になり、そこに人が群がる。

当時からテレビというものは、どこか別世界であり、そこに出れば何か宝くじにでも当たったかのように人々は高揚していた。

それから数十年が経ち、今では誰もが自分で個人のチャンネルを持つことが出来る時代になった。

やがてテレビという大衆向けのコンテンツから、ネットという個人向けのコンテンツに移る。

この個人向けのコンテンツが拡がることにより、この世の真実の一部が露呈し始めた。

僕たちはテレビを見ていたのではなく、見せられていたのである。

テレビというツールを用いた、日本人洗脳計画である。

僕たちは、ここで流れる情報しか知ることはできない。

A国とB国が争いを始めた時、メディアがB国がA国に侵攻したと報じれば、それをそのまま受け入れるだろう。

たとえ真実が逆であったとしても、それを伝えられた僕たちは、報道を疑うという回路を持ち合わせていない。

日本人は、素直で、真面目で、寛容で、従順で…

僕は何故、数多の国がある中で、日本人としてこの時代に誕生したのか。

それの答えを見つけるのが、魂のミッションでもあると感じる。

このメディアが日本人に与えた影響は計り知れない。

ここ数年テレビは見ていないが、ごくたまに見る機会がある。

そこで感じたのは、「CM」が多くなったような気がする。

CMが流れる時間が多くなれば、その番組の時間は少なくなる。

僕たちは、ドラマやお笑い、クイズやニュースを見るためにテレビを見るだろう。

しかし、逆の立場からすれば、人々が見たくなるような番組を制作すれば、そこに流れるCMも必然的に多くの人たちに見てもらいやすくなる。

僕たちは、興味のある番組を見ている代わりに、興味のないモノや会社の広告を観させられているということ。

世の中に、広告やCMだけが流れるチャンネルを観たい人が果たしてどのくらいいるだろうか。

テレビが24時間365日、コマーシャルしか流れなかったとしたら、視聴率はどうなるだろうか。

たぶん、ほとんどの人はテレビを見ないだろう。

人は本質的に、自分が知らないモノと出逢ったときには、警戒する生き物である。

その警戒を解く最も効果的な手法が、広告ではないだろうか。

例えばコンビニに入ってお茶を買おうとしたとき、二種類のお茶がある。

A社のお茶は、話題の女優がおいしそうにお茶を飲むCMを見たことがある。

B社のお茶は、見たことも聞いたこともない。

こんな時、ほとんどの人はCMを見たことがあるA社のお茶を選ぶだろう。

これが広告の持つパワーである。

”何か見たことがある”というただの「イメージ」が「信用」へと大変換されてしまう。

これを”恐ろしい”と感じるのは、僕だけだろうか。

日本国民は、国営放送を除き、無料でテレビを見ている。

その見返りに、それぞれの会社や団体が制作した「イメージ」を植え付けられている。

このサイクルで回る日本の経済は、本当に日本人の為に行われているとは到底思えない。

ではこのメディア洗脳の首謀者は一体誰なのか…

 

天国の手術台

ヒトは、情報を得て、その行動を決定する。

決定したものはもう覆せない。

だからこそ、その情報が真実かどうかを検証する必要がある。

ある政党の政策が自分の考えと大きく違ったとする。

だが在る時その政党の候補者の演説を聞いてみると、以外にも同意できる考えを持っていることに気づく。

勿論この逆の場合もあり得る。

ここで重要なのは、情報の第一印象は再検討するということ。

初めに得た情報は、どこから得たモノか、誰から得たモノか。

社会における様々な問題は、その立場によっていろんな側面が見える。

昔、ピラミッドを見た時に在る人は三角形と言い、また在る人は四角すいと言い、四角形という人もいるだろう。

これはどれも間違ってはいない。

見る角度が違えば、カタチは違ってくる。

僕たちは、ピラミッドが四角すいということは分かるが、真上から見れば四角形に見えるし、真横から見れば三角形に見える。

全ての角度からそれを捉えれば自ずとその全体像が見えてくる。

これは情報も同じで、一方向からの視点ではその全貌は明らかにならないことが分かる。

日本のメディアは、ある対象の情報の内、一面、もしくは二面しか与えてくれない。

それは、日本を裏で支配するアメリカがそうさせていることに気づく。

日本人は、弱い民族なのか、それとも強い民族なのか。

狭い領土の島国で独自の生活を営み、太古から繁栄してきた。

その民たちが戦争というものに巻き込まれながらも生きてきた。

この強靭な精神と団結をもってして、大日本帝国を気づき上げた。

他国から見れば、日本人はある意味脅威だったのだろう。

どうにかして日本人の戦力を削ぐ方法はないかと他国は考えた。

謀略、虐殺、買収など、様々な手を使い、日本を降伏させた。

戦中は、まさに地獄のような光景が広がっていただろう。

戦後は、その地獄から抜け出せたかのように思えたが、そんなに甘くはなかった。

針山地獄を何とか抜けると、そこには温泉が湧いていた。

人々はキズを癒し、その湯にいつまでも浸かっている。

ふと気が付くとその湯の温度は徐々に上がっていた。

だが皆、その湯からは出てこない。

あの針山地獄よりはここの方がマシだ、いつか湯の温度も下がるだろう。

そう言って多くの日本人は、茹で上がってしまったのである。

こうやって、戦後の日本人は洗脳という温泉で静かに浮かび続ける。

きっと彼らは日本人の本当の凄さを知ったはず。

それに恐怖を感じたからこそ、徹底的に根絶やしにしなければならないと感じただろう。

先ずは教育で歴史と愛国心を削ぎ、体育座りで奴隷体質を植え付け、食品で身体を汚し、支配国の言葉と文化を教え込み、経済を締め付け、国家破綻をちらつかせ増税をし、真実から遠ざけるように情報を操作している。

彼らは日本人を手術台に縛り付け、腫瘍を取り除こうとする。

本当に悪い部分があれば、麻酔で眠っている間に手術が終わっている。

だが現状は、そうではない。

麻酔はなく、どこも悪くないが痛みには耐えなければならない。

決して術中の映像は見せてくれないが、代わりに欲を刺激するような映像を見せ続けられる。

この映像を拒否することも出来るが、その代わり現実の苦しみと対峙することになる。

そうやって苦悩し、もがいている日本人をガラス越しに見ている奴らがいる。

支配する国に魂を売り渡した、おぞましき日本人がそこでニヤついているのである。

そんな悪魔に乗っ取られた人々は、浄化するしか道はない。

宿った悪から解放するには、神のチカラを使うのである。

神は気であり、言葉である。

太古から言霊の真理を見抜いていた、縄文人の血を受け継いだ日本人だからこそ出来ること。

民としての誇りをもう一度呼び覚まし、その本能に立ち返る。

約1万2000年も続いた縄文時代は争いがなかったという。

互いの存在を認め合い、共に生きる。

日本の合気道は、倒された方が何故か笑顔になる唯一の武道。

ローマ皇帝マルクス・アウレーリウスは、自省録で”最も良い復讐の方法は、自分まで同じような行動をしないこと”と言っている。

僕たち日本人を陥れた日本人を許せない、そんな気持ちになるのは仕方がない。

だが、そこに恨みのエネルギーを持っていくより、今からどうすれば日本人が真の豊かさを感じれるのかにその矛先を向ける。

このまま血の池で皆と共にゆでガエルになるか、一人でもそこから抜け出し、真実の道を歩むか。

現状維持か、未開の冒険か。

全ては魂の導きに従うのみ…

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

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