息の中にあるモノ

「イキ」という言葉の響き。

ここから「生き」「息」「粋」というような意味合いの言葉が浮かんできた。

ここには何か秘められた共通点があるのだろうか。

そんなことをふと考えてみる…

 

自動化された息

ヒトは、生きていくために何が必要だろうか。

そう考えた時に先ず浮かんだのは、「呼吸」。

生きることは「息」をすること。

これは、意識をしなくても生命を維持するため自然に行われる。

僕たちは、意識して行われることの方に真実があるように感じる。

何か目標を決め、それを達成するためにどんな行動をとれば合理的か。

そんな「超意識的」な世界のような気がする。

だが、ヒトは時に疲れる。

その時に必要なことは、自然に帰るということ。

ここでいう自然とは、”ネイチャー”という意味だけではない。

勿論そういう場や空気に触れることも大切だと思う。

現にキャンプがブームになっているのも、今のこの社会が自然と逆方向に行っていると感じる人が多いという結果ではないだろうか。

人々は、時間や場所の都合により、全ての人が自然を感じれる場所に行けるわけではない。

自然のもう一つの捉え方は、”オートマチック”

これは、ある意味「自動」に近いだろうが、あえてこう解釈することにする。

呼吸というのは、意識しなくても出来ている。

この意識をしなくても出来ている動作を意識的にしてみる。

そうすることによって、日々、自分は身体の中に必要なエネルギーを取り込み、吐き出しているという実感が得られる。

僕たちは、地球という場所で存在する生命体の一部を担う。

そう考えれば、ヒトそのものの存在が自然とも言える。

では何故、ヒトは、自然に生きながら自然を常に感じられないのか。

この世は、誰かによる意図的な構造に、僕たちは巻き込まれているだけなのだろうか。

あまりにも作られた世界に浸り過ぎることで、ヒトとしての機能がマヒしてくるかもしれない。

だからこそ、自分を取り戻すため、改めて無意識を意識してみる…

 

息が合う

無意識の最たるものは「呼吸」であり、「息」である。

この「息」は「自」+「心」で成り立つ。

息をするということは、「自らの心」。

”自分の心は、息、呼吸によって創られる”ということのように感じる。

呼吸には、自分でする呼吸と、相手との呼吸がある。

互いに話をしたり、動作を行う時、不思議と心地よさを感じた場合に「息が合う」という表現を使うだろう。

これは、「阿吽の呼吸」と呼ばれたりもする。

「ア」から始まり「ン」で終わる。

スタートからぐるっと巡ってゴールに着く。

通るコースは微妙に違えど、何故か互いに心地よいタイミングでそれが行われる。

それは、心が持つエネルギーの波長が近く、互いのリズムを感じやすいということかもしれない。

だから、「息が合う」とは「心が通じ合う」という意味にもとれるだろう。

だが、心が通じ合うためには、自分の心を理解しておく必要がある。

自分はどんな人間なんだろうか…

それを表現できる状態であれば、心が自分とリンクしている証拠になる。

しかし、ヒトは、自分の考えや趣味、性格など、本当の意味で分かるようになっているのだろうか。

ヒトは、地球がもたらした自然の一部。

それが分かれば、ヒトがヒトとして、自分が自分としての存在を確認できる。

時間や場所に関わらず、自然を取り戻す方法。

それが「息」。

意識をしない領域にある事こそが、ヒトとして、自分にとって重要なことだと改めて気付く。

ヒトは生きるためには息をしなければならない。

ただ、この息には、自分の心が含まれる。

呼吸自体が自分であり、どんな心の状態を持っているかがそこに現れる。

それが相手の持つ呼吸と一致した時、その相手の心を感じるだろう。

それが、「呼吸」であり、「息」であり、「生き」ることに繋がってゆく。

 

自然はいつも自分の中に在る。

そんなことを改めて感じられたテーマだった。

「粋」についても考えてみたかったが、それはまた次の機会にしてみよう。

生きることを実感する最も確実な方法は…

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

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