『四国遍路』への気付き
”自分は一体何のために生まれてきたのか…”
という問いを物心ついた時から抱いていた。
20代、30代、40代半ばになり、漸くその”答え”がうっすらと見え始めた。
この地球、この日本、この土地、この時、全てが在る一点への回帰。
現代は、ある意味、物質世界の頂点に来ている。
家、乗り物、お金、家族、娯楽、医療、情報、食べ物…
物質的に生きるということには、何も不自由しない世界がある。
ただ、この物質至上主義=3次元地球という世界では、絶対的な二元性がある。
プラスとマイナス、陰と陽、男と女、白と黒、善と悪、阿と吽、西洋と東洋、支配と隷属、富豪と貧乏、保守と革新…
常に相対するエネルギーが存在するのが、この地球という惑星である。
では、この肉体と相反する存在とは何か。
それは、霊体である。
宇宙には高次元の存在があり、11や12次元、それ以上のものもあるかもしれない。
そう考えると、このホシは3次元と、かなり低い。
我々人類は、このカラダ、或いは物質として認識できるものだけが、この世界であると信じている。
誰もが霊的存在が本体で、この地球で意識を高めるためにわざわざこのホシに降り立っているということに気づかずに、”ただ生きている”のである。
そして徐々にその真実に気づき、これからどう生きるのかという新たな問い。
時代は約2000年周期で、地から風へと移行し始めた。
地という物質から、風という精神への転換。
地=カラダ、風=タマシイ
この地球が、間もなく3次元から5次元へと上昇する。
それに伴う情報を隈なく探り、その流れが理解でき始めた。
ただそれは頭、知識という領域であり、自分が何かを感じたわけではない。
実際に自分という存在における、霊的波動の上昇を感じてみたい。
そんなときに「星の旅人たち」という映画があった。
一人の父親が、息子が旅先で亡くなったという知らせを受けた。父は息子がフランスからスペインまで続くサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼をしている途中で亡くなったのを知り、自分がその旅を引き継ぐ、というストーリー。
この巡礼がある事は昔から知っていたのだが、なかなか海外なのでハードルが高い。
そういえば、日本にも「お遍路」という四国巡礼の旅がある事に気づく。
遍路という道はずっと昔からある。
だが、なぜ今というタイミングにそれがやってきたのか。
そこには幾つかの導きが存在した…
導きの試練
四国遍路は空海が修行中に回った場所が、後に寺になり、現在の88か所になっている。
順路としては、徳島から始まり、高知、愛媛、香川と右回りが”順打ち”
それと反対に回るのが”逆打ち”であり、これは閏年に回るという。
今年、2024年は閏年に当たり、香川から左回りでスタートする。
四国遍路は一気に回っても、区切っても、車でも、どの寺から参っても問題はないということ。
だが、回るなら、通しで回りたいと感じ、日数的には平均約40日くらいになる。
総距離約1200キロを1日約30キロ歩けば大体このくらいにはなるだろう。
普段の仕事で身体を動かしているので、それなりに歩けるイメージは出来る。
ただ、問題は、どの季節に歩くかということ。
最も遍路をする人が多い時期は、春と秋で、夏と冬は巡礼者がぐっと減る。
そして最も少ないのは「梅雨」。
誰もわざわざ何日も知らない土地を雨の中、歩こうとは思わないだろう。
だが、ここに導きがある。
いつも行っている現場の施設が3ヶ月の改修工事に入り、時間が出来た。
今年の3月くらいにその情報が入り、約3ヶ月かけて遍路への準備を進めてきた。
何が必要で予算がどれくらいなのか。
最も必要な経費は、宿代である。
金額の幅はあるが、平均5~6000円。
これを40日とすると20~24万となる。
そこで幾夜を野宿(テント泊)にすれば、そこはカットできる。
本格的に野宿をしたことはないが、これも必要な経験の一つだろう。
出来るだけ自然を感じ、霊的エネルギーを高められる場所に身を置いてみる。
遍路=旅+祈り
空海が開いた真言宗における祈りとは、マントラ(真言)である。
有名なのは「般若心経」があり、十三仏真言や大金剛輪陀羅尼などがある。
各寺院に本尊があり、その真言を唱える。
薬師如来なら”オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ”と三度唱える。
それ以外にも経本通りに進めるなら、かなりのお経をあげることになる。
それを本堂と大師堂×88ヶ所=176回それを行う。
時に、魂の成長には試練が募る。
・逆打ちは順打ちに比べて案内標識がほとんどないらしい
・ほとんどの人が避ける梅雨から始める
・テント泊も予定しているため、荷物の重量が増える
・肉・魚以外の食事を取り、出来るだけ空腹状態を維持する
空海という存在
去年は、空海生誕1250周年であり、今年は奈良で空海展が行われていた。
空海は香川で佐伯眞魚として生まれ、高知の室戸岬の洞窟で覚醒し、空海となったといわれている。
ここからはかなりスピリチュアリティ全開で綴っていく。
空海は洞窟で虚空蔵菩薩の真言を唱え続けていると、金星がその身体に飛び込んでき、悟ったとされる。
この表現で、どれくらいの人がその本質に辿り着いただろうか。
”金星”という表現は、まさしく高次元の意識体であり、3次元の空海という肉体に宿り、この地球に降り立ったと考えられる。
そして空海は四国を徳島から右回りでその土地の霊性を開いていった。
では何故、空海は右回りでそれを行ったのだろうか。
そこには、カタカムナが関係しているように思われる。
カタカムナは太古の日本にあった高度な文明だと言われている。
そのカタカムナにはアワ性とサヌキ性があるとされる。
アワは女性性でサヌキは男性性を表す。
アワ=徳島、サヌキ=香川
アワは左回り(緩める)、サヌキは右回り(締まる)のエネルギーをもつ。
空海に融合した意識体は、アワで悟り、サヌキへと向かった。
これは締まるエネルギー、すなわちこの地球へ馴染もうとする方向だと分かる。
サヌキは男性性であるということから、現代は男性的なエネルギーがこの世界の中心であることになる。
遍路というものは、皆空海に憧れ、崇拝し、自分も空海みたいに悟りたいという願望が少なからずあるのではないだろうか。
空海はあまりにも高い波動を纏った存在と自分を一体化させるために、右回りのエネルギーでそれをこの世で調和させるためだったとも感じれる。
皆が空海と同じ右回りをしていても、またこの衆生の世界に引き付けられてしまう。
今までの時代はそれが必要だったかもしれないが、これから地球は次元上昇へと向かう。
右回りは下降であり、左回りは上昇である。
4年に一度の逆回りの推奨がいつ始まったかは定かではないが、衛門三郎のエピソードもどこかこの世的だと感じてしまった。
遍路が始まってずっと締まり続けることよりも、閏年に一度、緩めるエネルギーも必要であるとされたのではないかと思う。
自分の中に、ずっと、「次元上昇(アセンション)」というものが昔からある。
地球の次元上昇には、このアワ性のエネルギー、左回りの波動が今必要なのではないだろうか。
逆打ちこそが、”純”打ち
これが、今、自分と四国遍路を結ぶ大いなる導き。
遍路は88か所を巡るということがメインであるが、それは一つの教材と考えている。
この旅の真の目的は、どこまで神・仏を感じ、魂と身体を統合させられるか、ということ。
仏教ワールドにおけるただのスタンプラリーではない。
3次元自分ビジョンにおける、「神仏だョ!全員集合」
なのである…
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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