逆打ち四国遍路~其の四~ウラヘンロ編

遍路とは、今から約1,200年前に空海が四国を周りながら修行をした地が寺院(霊場)となり、それを巡礼することをいう。

そして実際にその道を、徒歩、バス、電車、自転車などを使って巡ってみた。

そこで「ヘンロ」という存在がどういったものなのかが、徐々に分かってくる。

そこに行く前のイメージと、実際にその場に行った時の印象、そこで浮かぶ新たな問い。

この「遍路」を通して、様々な思惑が交差する。

巡礼者、ビジネス、信仰の3つの観点から、この、遍路のウラ、もしくはヤミの部分にも言及してみたいと思う。

熱心な信者は気分を害するかもしれないが、遍路を体験した一人の意見だと思って聞き流してくれれば幸いである…

巡礼者

現在、遍路をする巡礼者は年々減少しているという。

人口の減少や、コロナの影響、気候変動や経済状況など様々な要因があるだろう。

自分が巡った時期は梅雨時であり、年間で最も人が少ないと言われる。

初めて遍路をする人は順打ち(右回り)から行うそうだが、自分が知ったのは今年(2024年)が閏年だったので、逆打ち(左回り)をすることにした。

遍路をする人が最も多く選ぶ季節は、春と秋。

実際に歩いてみると、確かに春と秋が最も選ばれる理由が分かった。

だが、自分は昔からヒトが多くいる場所が苦手であり、出来れば少ない、もしくは誰もいない方が落ち着いたりする。

旅が始まり、歩いていると、場所にもよるが順打ちの人たちと結構すれ違う。

この季節でこの人の流れなら、ピークの季節にはどれほどの人たちとすれ違ったのかと想像した。

彼等は、一体どんな思いでこの地を巡っているのだろうか。

すれ違う全ての人たちにインタビューしてみたい、という気持ちも浮かんでしまう。

遍路と言えば、やはりその服装だろう。

白装束、菅笠、金剛杖、輪袈裟、山谷袋など、見た目で「おへんろさん」と直ぐに分かる。

巡礼者は、こういったコスプレ的要素も、遍路の楽しみの一つのなのかもしれない。

自分も事前に白装束は購入し、菅笠は現地で購入した。

金剛杖は片手が塞がるのが不便だと感じていたし、輪袈裟は食事とお手洗いの時には外すという決まりがあるらしく、それが煩わしく感じたので見送った。

旅の初めは出来る限り「ヘンロ」らしく振る舞おう、そう思っていた。

だが、旅が進むにつれ、それが徐々に重みを増していった。

ヘンロは平地が約6、7割、山が約3、4割である。

どちらの周りにしても、2,3日歩けば、山越えになり、そこでかなりの体力を奪われる。

そこに「巡礼者」という重みが加わる。

他の人たちはどう感じているかは分からないが、自分的にはこの「見た目ヘンロ」が本当に息苦しく感じてきていた。

ヘンロは白装束を着なければならない、そう思い込まされていた。

巡礼を初めて数日は晴れていたが、本格的に雨の季節に入った時、装束を脱いで合羽を着た。

その時、なぜか雨で気持ちが沈むはずが、少し軽くなったのを覚えている。

そこから雨の日々が続き、装束を着ずに巡礼を進めた。

そして菅笠も自分の中ではネックになってきていた。

そう感じていたある日、ザックに固定していたはずが、気づくとそれは消えていた。

どんなチカラが働いたのかは分からないが、これで自分を「見た目ヘンロ」に縛るものは無くなったのである。

これは、ただ単に旅慣れてきたというのもあるかもしれないが、自分的にはとても大きな変化だった。

途中でレギンスとハーフパンツを購入し、そこからは自分らしいファッションで遍路を送ることが出来た。

人によって物事の見え方は無限にある。

自分の目的は、巡礼者になることではなく、巡礼を通して空海は一体何を伝えたかったのかを知ることだ。

ヘンロに行く前は般若心経や十三仏真言、光明真言や大金剛輪陀羅尼などを暗記していたが、各寺院でそれを唱えることは一度もなかった。

巡礼者や宗派の方は、空海の事を「お大師様(さん)」と呼び、とても称えているのがよくわかる。

皆、彼によって自分たちの人生を少しでも豊かにしたいと願って止まないのだ。

しかし、時代は、約1200年かけて徐々に変化してきている。

この、「ヘンロ」というカタチも変わらざるを得ない。

だが、それに付随する一つの側面がある。

それが、ビジネス…

ビジネス

ヘンロをするのに必要なモノは、信仰、時間、体力、そしてお金である。

「神や仏を信仰し、幸せになるためには、お金が必要である。」

一昔前までは当たり前に聞こえていた事かもれないが、現代ではどうだろうか。

ヒトは、太古から神、仏を崇めてきた。

では、それは本当に人々を幸福へと導いたのだろうか。

自分はどこかの宗派に属したことはないし、特定の神を信仰している訳ではない。

日本人は無宗教とよく言われるが、あらゆる自然や物質に神や仏性を見い出す民族だと解釈すれば、どの民よりもその神性を無意識に理解しているとも言えるだろう。

だが、この世界にはキリスト、ブッダに始まり、日本にも多くの開祖を始め、宗派が存在する。

そして、この神の名のもとに、多くの戦が行われ、その裏で、巨額の資金が動いていることは周知の事実であろう。

それは遍路においても例外ではない。

実際に「巡礼者」が減っているということは、そこに関わる商売をしている人たちの収入も減ってことは間違いない。

巡礼を行うのには必ずお金がかかる。

ヘンロとして回るには、様々な「ヘンログッズ」が必要で、それを揃えるだけでもそこそこかかる。

そこに宿代や食事代、賽銭や蝋燭、線香、納経代などなど。

四国には巡礼者をもてなす「お接待」と呼ばれるものがあるが、それだけを頼りに巡礼するのはかなり厳しいと言えるだろう。

実際に遍路道を歩いていると、如何にヘンロでこの場所が賑わっていたのかがイメージ出来る。

各寺の近くには、食事処や茶屋、民宿などの建物がある。

だが、そのほとんどはそのまま打ち捨てられ、廃墟となっていた。

人が来なければ商売にならない。

だが、店を開けていなければ客は入ってこない。

そんなジレンマに振り回された建物だけが、そこに佇む。

非常に品のない伝え方かもしれないが、「巡礼者×人数=お金」という方程式が成り立つ。

そしてそれは、全て「待つ」というスタイルから成り立っている。

実際に歩き、見たり聞いたりすると、日本人より外国人の方が多いという印象はある。

そんな時代の流れに乗れるかどうかというのも商売のターニングポイントだろう。

だが、実際に遍路宿を営んでいる方のほとんどは50代以上という印象だった(全ての宿を見て回ったわけではないが…)。

時代を捉えつつ、若い人たちが継いでいかない仕事は、間違いなく消滅の方向に向かう。

民間の宿が無くなれば、さらに遍路は難しくなり、加速度的に下降する。

そして今年から寺の開く時間も朝7時から8時になり、納経代も300円から500円に値上がりしている。

もっと遍路に来て欲しいと訴えておきながら、しれっと値上げをする。

これは、遍路の人数が減っても自分たちの利益を確保したいという寺側の意図がバレバレである。

遍路道は、本当に危険な場所が多い。

案内看板やルートを示す矢印も小さいし、倒木が道を塞いでることもあった。

今、遍路を世界遺産にしようという流れがある。

もし、世界遺産に認定されれば人の流入が増え、収入も増すからだろう。

だが、遍路を繋ぐために先ずしなければならないことは、本当にそれだろうか。

実際に歩いた人間からすると、巡礼者が歩きやすいようにきちんと道を整えたり、「お接待」という独自の文化を感じてもらうにはどうすればいいか、を考える方が重要ではないかと。

確かにお金は必要である。

しかし、空海は、果たしてそこまでして「ヘンロ」を続けることを望んでいるだろうか…

信仰

信仰とは一体何なのか。

宗教とは誰かをトップに据え、皆でそれを有難く崇めている。

四国遍路はそれが「お大師さま」と呼ばれる空海で、皆でその道を含め、大切に紡いでいるのが良く分かった。

一つの文化としてそれが形成され、世界的にもそれが貴重な構造なのだ。

実際にグラフにして見てはいないので、時代によりどれほどの流入に差があるのかが実感できないが、どちらにしても、残念ながら「遍路」が再加熱する要素は見当たらない。

これは一つの宗派だけではなく、全ての宗教にもいえることだろう。

現代になり、宗教と政治の関わりが大きく報道され、隠されていた世界が徐々にその真実を明らかにしてきている。

そんな時代において、これからも様々な宗教に新たな信者が増えていくとイメージ出来るだろうか。

人々を幸せへと導くはずの宗教と政治が、実はそれとは真逆の方向に向かっていたことが明るみになった。

この流れは、もう誰も止めることはできないだろう。

それは、空海を頂点とした「遍路」も例外ではない。

空海は何故、右回りを選んだのか。

それは、逆打ち四国遍路~其の零~導き編でも記したが、実際に歩いた後、やはりというか、不思議と”そう”なったのだ。

右回転(サヌキ)は締まり、左回転(アワ)は緩む。

香川→愛媛→高知→徳島と左回りをしていくと、徐々に気持ちも緩み、徳島では時間が余るほどになった。

空海は四国各地を回り、その土地の磁場や魔を祓っていったという。

それを封じるためには右回りのエネルギーを使い、それらを整えておく、又は封じておく必要があった。

そんな結界を一人で張り続けるには限界がある。

そこで空海の教えを学んだ僧やその時代に生きる衆生、そしてこれから生まれてくる人々にも協力してもらい、それを約1200年かけて封じてきたのかもしれない。

だが時と共にその魔は浄化され、封じるエネルギーも徐々に減らしていった。

そしてそれが最も緩み、解放されるとき、それが、今なのではないだろうか。

『皆、私と共に、良く長い間この世界を守ってくれた。これから四国、日本、世界、この地球は解放のエネルギーに包まれる。これからは一人一人が神や仏であることを思い出し、次の世界を創っていって欲しい。今まで本当にご苦労であった。感謝しているぞ…』

そう言っている様に感じる。

ブッダが誕生したのが約2500年前、空海はその半分の約1250年前、そして現代はちょうどその零地点。

遍路の長さも約1200kmであり、この数字の妙な一致は果たして偶然だろうか。

遍路に行く人は少なからず、空海に呼ばれなければ出来ないとも言われている。

一人の巡礼者としてはとても重い旅だったが、空海の意識視点で遍路を見ていけば、その真理の一端を味わうことが出来たのだ。

逆打ち四国遍路~其の三~高波動編にも記したように、御厨人窟で自分が感じた空海の波動が、その全てを肯定している。

これからのヘンロは、空海を崇めることではなく、空海に宿った高次元意識と一体になるということを本質にすることで、自分本来の輝きに気づいてゆくのではないだろうか。

今、この世界は光が少なく、そして小さい。

だから、いろんな闇が大きく感じられる。

ウラもオモテもすべて統合し、ヤミもヒカリで調和する。

空海という大きな灯に頼るのではなく、自分たちの内なる魂に火を灯す。

空と海、そして、陽と命。

それは、この世でしか得ることが出来ない、地球の神秘。

彼の意識が、その片鱗を見せてくれた。

そんなことを、悟った…

気がするのである…

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

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