今回、四国遍路に出向いたのは、ある意味、遍路”だけ”をするためではない。
今、地球は3次元から5次元へとアセンション(次元上昇)し始めている。
3次元は物質世界=可視化、5次元は精神世界=不可視
地の時代から、風の時代への大いなるシフトチェンジ。
それは2025年から加速度的に上昇へと向かうという。
そんな状況において、今の自分にはアセンションに向けて何が出来るだろうと考えていた。
そこで導かれたのが「お遍路」だったのだ。
約1200年間、空海の後に続き、どれくらいの人たちが四国88ヶ所を巡ったのだろうか。
それぞれの時代や人々においてその思いは様々なのだろうが、一貫していることは、”願いを叶えたい”ということに尽きるだろう。
そんな”思い”もあってか、自分が感じた遍路は非常に”重い”旅だった。
自身の波動を上げるためという目的もあったが、遍路のみでは苦痛しか感じることはできなかっただろう。
遍路を通してこの土地における高波動領域を見つけるというのが、旅の真の目的だった。
そこで自身がその場に身を置き、高波動を感じた場所をランキング形式で記してみたいと思う…
第五位
〔鮎喰川〕2024/7/20
徳島県神山町に流れる鮎喰川。
この日は歩く距離を短めに設定していたため、ゆっくり歩いたとしても宿に早く着きすぎる。
何処かゆっくりと休める場所を探していた時、橋の横から河川敷へと続く道を見つけた。
非常に水が澄んでいて、流れもそこそこある。
誰もいないこの場所でマットを引き、カラダを広げた。
太陽の熱と水流の音が染み渡る。
時間にして一時間以上はこの場にいただろう。
山の中ではどうしても圧迫感というか、開放感を感じにくいところが多いが、こことても居心地が良かった。
聞こえてくるのは鳥や虫たちの鳴き声と川の流れる音。
熱くなったカラダを冷やしてくれる水の有難さは、今でも良く覚えている…
第四位
〔竜串〕2024/7/7
高知県土佐清水市西部、足摺岬近くにある竜串海岸。
この独特な地形は、波や風の浸食によるものとされている。
しかし、何故、この場所だけ、これ程特異な地層が露わになっているのだろうか。
実際にこの場を歩き、その岩肌やエネルギーを感じてみる。
明らかに、ここは他の海岸とは地層の雰囲気が違った。
太古の地層ということは分かるが、ただ何万年前の地層というだけでは片付けられない”何か”があるような気がした。
何故、この場を”竜串”としたのか。
文字通り、”竜を串に刺した”という解釈も出来る。
確かにこの上を歩いていると、竜の背中に乗っているような感覚にもなるだろう。
しかし、その見た目だけではない、何かがこの場にはあるような気がしてならなかった。
かつてこの地球には、高度な文明を持つ人類たちがいた。
それは、ムーやアトランティス、レムリアと呼ばれる。
これは単なる神話や伝説の物語なのだろうか。
「自分とは一体何ものなのか」という問いを生まれながらに持ち続け、その糸口を太古の地球で導き出すことが出来るかもしれない。
この場所には、太平洋にかつてあったかもしれないムー大陸やレムリア大陸の余韻が残る。
太古の大津波で沈んだその伝説の大陸の一部が、この場に何らかの力によりその地形が形成されたのではないか…
そんな妄想を掻き立てられた、特異な奇岩地域であった…
第三位
〔竜宮神社〕2024/7/8
この場所も竜串と同じ高知県土佐清水市にあるが、足摺岬の先端からほんの少し西側に位置している。
入り口には鳥居があり、木々に覆われた道を暫く歩いてゆく。
途中で分かれ道になり、監視台行きと神社行きのルートになる。
今回の記事の一番最初の画像は、頂上にある監視台から撮ったもの。
そこから引き返し、竜宮神社へと向かう。
木々の道を抜けると、そこは竜串とはまた違った岩肌の雰囲気で、先端にある鳥居と社へと向かう道が造られていた。
何故、この場所に神社があるのだろうか。
そしてそれは、”竜宮”である。
この世界には、かつて龍族、もしくは龍陀族と呼ばれた種族がいたという。
これはムーやアトランティスの時代にも居たかもしれないし、それより前の時代からこの地球に居たのかもしれない。
そしてこの龍陀族の血を引く者たちが最も多いのが、日本人だとも言われる。
世界的、いや、宇宙的に見ても、自分たちでは分からないが、日本人というのは、やはり特殊な波動を持った民であるらしい。
そのコトを最も理解していないのも、我ら日本人であるという。
日本全国に”竜(龍)”という名がついた地域がどれほどあるかは分からないが、高知の岬に”竜”の着く場が近くにあり、そこに引き寄せられるよう、その身を置いた。
それが2024年、”辰”年なのである。
この導きは偶然なのだろうか。
その答えは、いずれ訪れると信じておこう…
第二位
〔星ヶ森〕2024/6/29
愛媛県西条市にある、第60番霊場・横峰寺(標高約750m)から少し登ったところにあるのが、星ヶ森である。
この日は今治のホテルを朝6時に出て最寄りの駅まで電車に乗り、そこから約3時間半かけて到着した。
本来は横峰寺までで良いのだが、遍路に行く前からこの場所には立ち寄ってみたいと思っていた。
正直、山登りをし、カラダはこれ以上登ることを望んでいないのだが、何故か引き寄せられるよう歩を進める。
暫く登ると、森の一部がぽっかりと開けた場所が現れた。
そしてその先に進むと、鉄の鳥居越しに石鎚山を拝む聖域があった。
この場所が俗にどう言われているかはあえて記さない。
興味のある方は検索すれば直ぐに分かるだろう。
ここは自分が感じたまま、純粋に伝える。
自分が遍路をしていて、初めて高波動を感じた場所でもある。
正直、遍路道や霊場(寺院)において、自分が高波動を感じた場所や瞬間は一度もなかった。
ここは横峰寺の奥の院となっているが、全く別の領域であると感じた。
これは本当に、言葉、ましてや文字で伝えるのが非常に難しい。
そして、何故この場を”星ヶ森”と名付けたのかが気になった。
空海が星供養をしたとされているが、星供養とは一体どのようなモノなのかが想像できなかった。
暫くこの場に居続けたが、いつまでもいるわけにはいかない。
その場を後にし、森が開けた場所を通って帰る。
そしてそこを抜けようと思ったが、何故かまた振り返ってその場を眺めた。
そこで何故この場所が”星ヶ森”になったのかが、分かった。
この場所は、丸い形で開けていた。
何気なく鳥居の場所に行く道の途中というだけのように感じていた場所が、全く違う景色を見せてくれた。
高次元と繋がる空海、星とのコンタクト、異星人、UFO、着陸…
ここはまさに、空海と接触するため、異星人がUFOで降り立った場所ではないかと感じた。
なぜこの場所だけ木々がないのか。
なぜこの場所だけきれいな円形に開けているのか。
なぜこの場所だけ何も記されていないのか。
様々な観点や自身の感覚から考察すれば、この場所がどういった所だったのかが導きだされた。
この3次元世界では到底信じられないような出来事が起こっていたのだろう。
空海には高次元の魂が宿っている。
きっと彼と繋がりのある存在達が、何かしらの理由でこの場に降り立ったのだろう。
そんな空気に包まれながら、じっと空を見上げた…
第一位
〔御厨人窟〕2024/7/13
高知県室戸岬にある、空海が悟りを開いた洞窟。
この場所は、遍路を通して、最も行ってみたい場所だった。
空海はこの場所で何日も修行をしていると、ある日金星が口の中飛び込んできて、覚醒したとある。
そこで見えた景色が空と海だったことから、自らを”空海”と名付けたと言われている。
空海がなぜ右回りに巡っていったのか。
遍路とは一体何なのか。
その本質を知りたいと思い、始めた旅だった。
1番から巡る順打ちなら10日過ぎくらいでこの場に辿り着くが、逆打ちだったので、この場に着いた時には、やっとここまで辿り着いたかという印象だった。
第24番霊場・最御崎寺から海岸に下り遊歩道を暫く進むと、御厨人窟に辿り着く。
車が一台止まっていたが、洞窟内には誰もいなかった。
洞窟は二か所あり、右側にあるのが修行を行っていた神明窟(画像⇧)と、左側にあるのが、主に生活していた御厨人窟(画像⇩)である。
先ずは左の御厨人窟へと、足を踏み入れた。
午前中の雨の影響もあってか、洞窟内にはポタポタと水滴が降っていた。
画像では結構明るく映ってはいるが、体感的にはもっと薄暗い。
そしてとても静かであり、空気の流れがそれまでとは全く違っていた。
手を合わせ、腰を落とす。
全身に流れる何かを感じる。
こんな感覚は、到底言葉で表現できる領域を超えていた。
そこには只ならぬエネルギーが流れている。
それは、間違いない。
全身を包みながらも、内側から何かが解放しているような、とても奇妙な感覚だった。
暫くして立ち上がり、今度は右側にある神明窟へと入ってみる。
大きさは御厨人窟の半分もないような大きさだった。
空海が悟ったとされる、神明窟。
この場も高波動を感じたが、自分的には御厨人窟の方がより反応が強かった。
入り口には落石防止のネットが張られ、雰囲気は少し損なわれるが、やはりその中は異空間が存在していた。
その場を後にし、再び歩き始める。
だが、全身が痺れにも似た感覚になり、それが一向に収まらない。
外の温度は間違いなく30度は越えていた。
御厨人窟で高波動を浴び続けたからなのか、全く暑さを感じない。
寧ろ、寒気の方が上回っていた。
よく、修行の為、”山にこもる”という表現を使う。
これは、山、そのものではなく、山にある岩、洞窟を指すのではないだろうか。
大本教の出口王仁三郎も、京都の亀岡にある高熊山の洞窟にこもり、覚醒したとされる。
そう考えると、やはり、岩や洞窟というものが、ヒトを悟りへと導く”何か”を含んでいるのだろうか。
そしてこれを書いている時にまた一つの繋がりを見出した。
”こもる”、これを漢字にすると、”籠る”となり、ここでも”龍”が出てくるのである。
この、遍路という旅を通して、空海を通して、高次元存在達が伝えたい事。
水の流れ、太古の岩、竜の民、異星人、覚醒…
全て自らの真の存在へと帰るため、これらの気づきを与えられた気がしている。
今すぐにハッと何かを悟ったわけではないが、徐々にその真理へ近づいているのは間違いないだろう。
次は誰から呼ばれるのか、楽しみに待つことに…
いや、一歩でも進むとしよう…
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今日も貴方は素敵です☆