この世界をスクウのは誰だ

いつの時代にも、ヒトは救いを求める。

では何故ヒトは日々の中で救いを求めなければならないのか。

ヒトは一人では生きてゆけない。

だから社会という巨大な動力盤に、自分という小さな歯車を噛合わせる。

だが、ある時そこに何か異変が起こる。

自分の考えや力だけでは解決できない事態が発生する。

どんどんずれ始め、自分では処理しきれないほどに大きく広がってゆく。

絶望感に覆われ、落胆と憂鬱がのしかかる。

この時、どこからともなくやってくるのが「スクイ」…

 

救世

民衆はいつの世も、権力や支配者によって翻弄されて生きてきた。

この構造は、今現在も進行中であり、どこかしらに必ず歪が起こる。

この世を形作るのは、民か、王か。

過去の歴史を振り返ると不思議なことに気づく。

初めは一人のヒト同士が互いに協力し合い、その種を存続してきた。

そしてその数が増えるにつれ、彼等をまとめる必要が出てくる。

そこで「長」を皆で決め、権力と責任が生み出される。

その長を持つ族が各地に存在し始め、時と共にそれが数を増し「国」という単位にまで成長した。

この流れを汲み、一人の王と呼ばれる支配者の統治によって民はその地に生きることになる。

事の初めは、その長はその権力と責任の両方を持つということだった。

だが、時が経ち、自分に従う民が増えれば増えるほど、その人間の中にある欲望が肥大化してゆく。

民を自分の所有物とし、思い通りにできる権力の方だけに偏り始める。

王は民によってその国が成り立っていることを感じなくなる。

責任を放棄し、権力のみで国家を運営し続けた国は繁栄するだろうか。

しかし、この権力によって、その責任を取らなくてもよい、もしくは責任を取っているかのように見せることが出来るのである。

逆らうものは国家反逆罪として処罰し、真実を闇に葬ることが出来る権力に傾倒してゆく。

こうなればもう民の選択は2つしかない。

何も言わずただその権力に従い生きるか、民衆で結託し、その王権を武力によって崩壊させるか。

従属か、革命か。

ただこの革命を起こすにも民をまとめ、その志を一つにすることが出来る存在が必要になる。

それが「救世主」

この、世を救う存在を主にし、民は大きなまとまりになる。

結果、時の王権を排除し、新たな民による国家が誕生する。

そして、この世を救った存在が新たな権力者になり、その地を統治する。

…しかし、また時が経つにつれ、その国家の権力と責任のバランスに不満を持ち始める。

それがまた新たな民と王の間に確執が生まれ…

この無限ループに人類が陥っている気がするのは、僕だけだろうか。

君主制と民主制。

王権を主とするか、民衆を主とするか。

救世主は、世を救う主。

世は世界を指すので、王権側と民衆側の両方に存在するはずである。

王と民、互いを繋ぎ、国家を繁栄させてこその救世主。

対極をなす2つの存在。

勝者と敗者が永遠に入れ替わり、永遠の安寧は訪れない。

だが、このカルマから逃れる策がある。

2極だと対立が起こる。

ならば3極にするとどうなるだろうか。

互いの存在が均衡し、平安が訪れる。

民衆・権力・象徴三竦さんすくみ。

これが、日本であり、皇統の歴史は世界最長である…

 

読書

僕は、日本人でありながら自国の歴史や文化などを全く意識せず生きてきた。

日本が紡いできた天皇の重要性やそれを巡る様々な議論。

大東亜戦争(第二次世界大戦)に敗戦したことで、日本人はどのような歴史を歩んできたのか。

この問題に興味が出たのは、ここ1、2年のこと。

40代半ばになり、「日本人としての自分」というものに興味が湧いてきた。

人材派遣業(フリーター)として生きてた2、30代は、日本や世界の動き、政治や経済など自分の人生には全く関係のないことだと思っていた。

共に仕事をする人間は皆、日雇い労働者なので、今月どう生きるか、明日の現場はどこになるのか、ということが習慣になり、やがてライフスタイルになってゆく。

この世界で生きた人間が、長い自国の歴史や数年先の未来に起こるかもしれない様々な危機に、意識を向けられるだろうか。

明日の不安を押し込め、小さな幸せをじっくりと味わいながら生きている人間もいれば、楽観的に自分の楽しみだけを考えて生きている人もいた。

人材派遣に来る人達は、年齢、目的、価値観などが全く分からない人間同士が、日々カタマリとなって与えられた仕事をこなしてゆく。

そして僕の場合は、仕事を通して意識を共有できて、初めて互いの事を話すことが出来るタイプだった。

ただ、人材派遣というものは、一生出来るものではない。

それは基本肉体労働であり、昇給制度がきちっとある訳でもなく、アルバイトというポジションから向け出せないのである。

30代になって、そんな意識が徐々に膨れ上がってきていた。

そんな思いを抱えながら仕事をしていたが、ずっと20代の頃から続けていた在ることに気づく。

それは本を読むことだった。

現場では休憩や待機という時間がある。

当時はまだスマホもあまり普及していなかったので、誰かと話してその時間を過ごすことが普通だったが、僕はその時間を読書に充てていた。

現場の大道具が待機中にいつも本を読んでいる光景は、周りから見ればきっと異様だっただろう…

 

探究

僕が今こうやって文章を紡いでいるのは、もしかしたら読書が影響しているかもしれない。

将来文章を書くために本を読んでいたのではなく、本を読んでいたから偶然書けている可能性がある。

その世界に居たからこそ見える景色がある。

それはとても特殊な闇と光。

世界の構造が見渡せる視点を持った今なら、自由を感じていた人材派遣という幻がその輪郭を浮かび上がらせる。

日本におけるグローバル化の株主資本主義。

企業の利益を株主により還元するために編み出された、非正規雇用という策略。

その上で踊らされていた自分の滑稽さ。

もし当時の自分がそれを知らされていたとしても、何とも思わないだろう。

誰が仕掛けたレールであれ、自分はそれに乗るしかなったことに気づく。

湧き上がった情念は自分の奥底に押し込め、マグマエネルギーへと変換させる。

静かに荒々しく進む。

そして過去を振り返り、人生のテーマを改めて考える。

「自己探究」

こんな言葉が浮かんだ。

自分とは一体何者なのかを探し究める果てしない旅。

世界にその答えを求め、様々な言葉を自分に浴びせてきた。

様々なご縁により結ばれた人たちと時間を共有することで見えてきた、世界と自己。

自分を導き、救う存在。

世界は僕を救ってくれるのか。

世界を巣喰っているのは僕なのか。

「救う」ことは、「巣喰う」こと。

巣は、新たな可能性が生まれ、育つ存在。

それを食うことは、自らを喰らうことになる。

誰かがきっと救ってくれると願うことで、それは巣喰われるだろう。

自分は誰にも巣喰わせない。

我が魂を保守する。

その為に、今は、日本人として、更なる探究を続けたい…

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

今日も貴方は素敵です☆