普通を不通に

普通とは一体どういったことだろうか…

普通の人、普通の考え、普通の生活…

この世界はある一定のルールのもとに成り立っている。

これが正しい生き方、これが正しい考え方、これが正しい服装…

普通とは常識とも言い換えられる。

常識とはつねなる意識。

では、意識における普通とは、一体何を表すのだろうか…

 

教育の義務

僕たちが認識している普通とは、何のために在るのだろうか。

この世界を円滑に過ごすために教えられる規則のようなもの。

僕たちが見えている世界は、本当に世界だろうか。

世界とはこんなに窮屈で、息苦しいモノなのだろうか。

自分と世界は本当に繋がっているのだろうか。

自分と繋がっているのは社会である。

社会というのは、この世界の一部分でしかない。

この時代に生れた人間は、世界=社会だと思ってはいないだろうか。

人が生きる為には、ピラミッド社会の一員になり、巨大な歯車の動力を伝える小さなギアの一つとしての役目を果たし、その報酬を得る。

これを肉体が尽きるまで繰り返し、そこが回らなくなればまた新たなギアをセットする。

この社会という崇高な搾取構造に、僕たちは見事に組み込まれている。

取るものと取られるもの。

この不都合な設定で僕たちはこの人生ゲームを巡ってゆく。

ただ、ほとんどの人は、この構造が理解できていないだろう。

この社会で生きるには、常識という絶対的なルールがある。

このルールを学ぶために、僕たちは学校に通わせられる。

義務教育という名のもとに。

何故権利ではなく義務なのか。

ここで徹底的にこの社会のルールをたたき込んでおかなければ、支配しにくくなるからである。

最も良い奴隷は、自分が奴隷であると気付かずに生かされているということ。

そして偶然にもこの制度の真実に気づき、距離を置こうとする者たちが現れる。

だが支配者はそのものたちを逃がしはしない。

自らは手を出さず、従順な奴隷たちを使ってそれを封じ込める。

彼等はそうやって闇の中にずっと存在し、僕たちを互いに憎しみ合わせ、楽しんでいるのである…

 

落ちこぼれとエリート

学校教育の中で、勉強が出来る人間とあまり出来ない人間がいる。

日本の教育は、ほとんどが暗記であり、先生から教えられたことを如何に覚えていられるか、ということ。

教えられたことを素直に身に着けられる人間は、優秀であり、いい成績をもらえる。

一見素晴らしそうに感じるが、支配者側から見ればこういったタイプこそが好物なのである。

人が生きるというのはどう言ったことなのか、日本人として生きるのは何を大切にしなければならないのか、何を信じ、何を避けなければならないのか。

こういった精神や魂の在り方の教育も勉学と同等に行わなければ、ただ社会という大きな波の中に引き込まれ、その揺らぎに身を任せるしか生きる方法が無くなるのではないだろうか。

今の若い世代は、直ぐ仕事を辞める、いやなら転職する、正社員よりアルバイトがいいという考え方が増えている。

今の大人たちは、何故このような現象が起こっているのかを真剣に考えているのだろうか。

僕が思うには、彼等は、この崇高な搾取構造に何となく気づいてしまっているのではないかと感じる。

僕が社会と接点を持つようになったのは、今から約25年前になる。

このころのツールは、ポケベルや携帯電話のメール機能が主であり、情報は、主にテレビやラジオ、雑誌などから自分の知りたい事を探していた。

ドコモのiモードが1999年に出来たので、今25.6歳の人は、生まれた時から情報はネット検索ということになる。

僕たちの時代は、巧みに情報が精査され、これは国民に伝えていいことと良くないことがあり、それが絶対に漏れないように徹底管理されていたのだろう。

だが、現代では一人一人が個別に情報収集できる状態なので、ちょっとした不正やトラブルも直ぐに知れ渡ってしまう。

現代の教科書では、聖徳太子という名が厩戸皇子となっていたり、鎌倉幕府が1192から1185に変更になっている。

この年号や、ある人物の呼び名が変わったところで、人生がどう変わるかを考えてみる。

普通の人は、教わったことしか出来ない。

歴史が変わったからそれをまた覚えればいいと思うだろう。

だが、本質はそこではない。

そうやって、歴史というものを、自分たちの好きにアレンジ出来てしまう権力を持っている人たちがいるということを、先ず認識しなければならない。

今まではこうだと思っていたものが、実は違っていて、今現在はこのような見解になる。

そういってずっとこの歴史を書き換えてきたのである。

そう考えれば、歴史というものは、真実という一欠片から、きっとこうだったであろう、こうだったに違いない、こうでなければならない、そんな思いが紡いだ時の積み重ねのように感じる。

人はサルから進化したという常識。

この常識から外れた者は、社会の構造から排除される。

それに怯え、人は何とかその偽りの輪の中に居なければならないと思ってしまう。

この世界で最も危険なのは、物事を一方向からしか見ないこと。

この世の全てにおいて、表と裏がある。

常識とは、この世界の表面しか見ないようにするための規則である。

裏を隠すために、偽りの表を創造しているのである。

ただ、これも見る視点によって、その世界が反転する。

民は善で王は悪か、王は善で民は悪か。

こういった対立構造は何故生まれるのだろうか。

それぞれの立場で、正義という概念がその根源になる。

正義と悪は共に存在し、そのエネルギーがぶつかり合う時、それは互いに消滅し、無になる。

人はお金を借りた時、その金額の負債が生み出されるが、一方でその金額の資産も発生する。

この世に生み出されたお金を返してしまえば、この世からその金額分のお金が消滅する。

そんなまやかしが、そろそろ限界に近づいてきた。

今までは上手く化かせていたが、後ろからチラチラと尻尾が見え隠れしている。

僕たちが見てきた、いや見せられてきた普通、常識とは一体何だったのかということが分かり始めてきている。

だからこそ、僕たちは真実を受け入れる準備をし始めなければならない。

普通とは、皆が教え込まれた幻のルール。

社会が仕掛ける普通を、よくよく吟味しなければならない。

普通を簡単に自分の中に入れてはならない。

勇気を持って、不通にしなければならない。

影の支配者たちは、肉体を腐敗させ、脳をたぶらかし、魂を乗っ取ろうと画策する。

トロイの木馬の様、あたかもそれが有益なように見せてくる。

怪しいエネルギーはいつでも僕たちの魂を汚染してくる。

社会と上手く交われない人は、そのエネルギーに違和感を感じ、そっと交わして生きてきた人である。

大多数の方が全て正しいとは言い切れない。

何を感じ、どう生きるのかを意識する。

ヒトとして、日本人として、地球人として、今、自分が出来ること。

この世界に蔓延る常識を、もう一度よく見直さなければならない。

真実は、全て、逆…

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

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