第47周期

2024年12月1日をもって、地球歴47周目を迎えた。

自分とは一体何のために生まれてきたのか。

何故日本人として誕生したのか。

この時代で何を感じるのか。

地球人としての役割はあるのだろうか。

神や魂は存在するのだろうか。

年々、様々な問いが浮かび上がってくる。

その疑問に出来るだけ素直に行動してきた、そんな年だった。

46週目で感じた事をここでまとめてみたいと思う…

 

二つの世界

ここ日本に生まれて、日本語で会話し、和食を食べ、洋服を纏い、四季を感じ、日々を営む。

世界中でこれ程特殊な文化や歴史、精神性を持つ民が居るのだろうか、ということが年々染み込んでくる。

この国は島国なので、他の民族と接する機会があまり無いといえるだろう。

だが、それが訪れた時には、受け入れるか拒むかの選択を迫られる。

グローバル思考、戦後教育、明治維新、仏教伝来、神武東征…

この国は様々な時代の異国文化を受け入れ、それを独自のスタイルへと進化させてきた。

これから先、日本はどのような外圧的変化により進化するのだろうか。

占星術においては星々の運行により、個人から地球レベルにまで影響があるとする。

来年2025年は冥王星(2024年11月20日~)、海王星、天王星、土星、という星々が一斉に天体を移動する非常に珍しい年になる。

どのくらいのレベルでこの影響が起こるのかは予測出来ないが、何かしらのインパクトは訪れるだろう。

これに対し、恐れを抱くか、期待感を持つか。

現代は、物質文明のピークに来ている。

一部の富裕層が大多数の人民からの搾取構造を秘密裏に完成させたといってもいいだろう。

だが、良くも悪くも「情報」が解禁されたことにより、真実に気づく人々が現れ始めた。

少数の人々なら脅しやカネで口封じが出来たが、これほどまでに広がると全てをもみ消すことは艱難を極める。

この世界には様々なトラップが仕掛けられていて、普通に過ごしていればそのどこかに引っかかるように仕組まれていた。

ただ、時代が進むにつれ、どこに罠があるとか、引っかかってもどうすればそこから脱することが出来るかや、仕掛けている人物や組織が公にさらされるようになった。

これはまさに堅牢な物質至上主義のピラミッドにひび割れが起こり始めたということの象徴である。

この世界は目に見える物質のみの世界ではない。

彼らがコントロールしやすいようにするために、ヒトを物質世界で支配していたということ。

この事象に気づくのに、どれほど時間がかかっただろうか…

ではそれに気づいたとして、自分には一体何が出来るだろうか…

この世界は、2つの対なる物で構成される。

陽と月、天と地、男と女、破壊と創造…

では、今自分たちが生きている「現世」にも対なる世界が存在するはず。

それが「常世(トコヨ)」と呼ばれる、見えない世界である。

現世=ゲンセと読むが、”ウツシヨ”ともいう。

ウツシ=移し・写し、であれば、何を”うつして”いるのか。

うつす対象が無ければ、それは存在しえない。

そうすると、「現世」は「常世」と表裏一体していることとなる。

見えない世界が存在しえないと思わされていると、片側の物質世界でしか生きれないので、どうしても現実的な苦しみだけが付きまとってしまう。

全ては常世と繋がっていると悟れば、自ずと現世でのミッションが明らかになってくるのである…

 

ウツシヨ

頭では現世と常世がある事を理解はできたが、それだけではまだ現世に偏っている。

ならばどうするか。

実際に現世にある、常世を感じれる場所にこの肉体に宿る魂を導いていくしかない。

今年は、縄文の女神といわれる瀬織津姫の六甲比命大善神社から始まり、レムリアのイシキと繋がる沖縄の久高島、空海に導かれるまま歩いた四国遍路36日、日本の神意識を学んだ5日間の大本道場修行などが、霊性を高めるために出向いた主な場所になる。

それ以外にも日々の仕事やパートナーとの時間、数年前から行っている古典的革づくりやレザーを用いたアート作品、能楽やファッションの傾向にまで、見えざる”カミイシキ”が影響しているのをジワジワと感じてきている。

これからの時代は、階級や権力、カネやコネによる、物質支配主義の流れが徐々に薄れ、慈愛や平穏、カミやレイによる精神愛善主義の流れに移行してゆくだろう。

そのような時の中で、自分は何をこの人生で得るのが目的なのだろうか…

今の世界はあまりにも常世とのバランスが悪い。

現世(体性):常世(霊性)=9:1 くらいだろう。

これを出来れば五分五分に持ってゆきたい。

ではどのようにこの霊性を高めていけるのか。

これは一人一人持っている課題がそれぞれなのでこれをすれば霊性が高まるとは言い難いが、自分の魂が求めるままにこのカラダを委ねてみるということかもしれない。

自分にとっては、真言や祝詞を唱えることや、世界平和を元に生み出された言語であるエスペラントに意識が向いている。

ただ、何かをしようと思い立った時に、直ぐに行動出来ないこともある。

それは周りの目や世間を気にし過ぎるあまり、その意識が抑制される。

全てを無視してなんでもやりたい事をやりまくるというのも少し的外れ感もあるが、魂に意識を向けていれば自ずとその時に相応しいタイミングがやってくる。

”出来立て”もいいが”熟成”もまた味わい深いものである。

ファッションにおいても、今までは如何にカッコ良く見えるかという意識で服を選んできたが、今年から徐々にカジュアルなニュアンスも取り入れるようにしている。

”引き締め”から”緩和”へのシフトチェンジ。

上昇の信念と下降の覚悟。

カッコ良さとダサさを調和させ、独自のスタイルを表現する。

この肉体に纏わせる、物質世界の調律修行。

陰陽が極まる時、自分には一体何が起こるのだろうか。

この世は、あの世の”うつし世”であるから、死ぬも生きるも同じこと。

霊界=神の世で生きることは、現世では死ぬこととなる。

肉体は滅んでも、魂は霊界に帰えるだけ。

ただ、その世界にも天国と地獄が存在する。

自分に宿った魂がどちらの世界で過ごせるかは、この現世での行いにより判断されるという。

この世で辛い思いを強いられるのは、前の宿主の生き方に影響しているのかもしれないが、それを受け入れ、現世で善行を積めば、来世では豊かな人生を送れるかもしれない。

この肉体のみがこの世の全てではない。

決して物質の全てを捨てて生きよという訳ではない。

この世界で楽しむこともまだまだあるが、これからの人生は如何に霊性を高められることを意識し、魂を向上させられるか。

その為に日々何を思い、何を感じ、何を表現するのか。

2025年は自分にどんなカミイシキが下りてくるだろうか。

ま、霊界で自分が書いたシナリオにある程度従ってみましょう。

何事も、惟神~かんながら

この世が、真の”美し世”になりますように…

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

今日も貴方は素敵です☆