
明けましておめでとうございます。
2025年、令和7年の巳年がやってきた。
自分の干支がヘビなので、ちょうど4周目にあたる。
生まれてきてから事あるごとに「人生とは何か…」、そんなことを漠然と考えてきた。
そしてここ最近、様々な情報や人々、土地や文化に触れ、その意義が何となく見えてきた気がする。
この世界は、それぞれに壮大なタネが仕込まれた「マジックショー」なのではないかと…
種明かし
手品には、必ずタネがある。
それは誰もが分かり切っていることだろう。
手品を見ている人の反応は様々で、驚いたり、仕組みを考えてみたり、感動で涙したり、時には怒りを露わにする人までいる。
目の前で自分が常識としていたことが覆るのを実感した時に、ヒトは何かしらの反応を起こす。
物体が宙に浮く、カラダが分断する、一瞬で人が消えたり入れ替わったりする、等々。
人はこの世で「不可能」とされていることを目の当たりにした時、瞬間的にそれを受け入れられない。
リアクションや拒否反応が大きければ大きいほど、現実的な生き方をしているということになるだろう。
それは、物質的にだけ、この世界を見ているということも言える。
予想もしなかったありえないことが起こるとヒトがどうなるかは、手品を見た時の反応で予測がつく。
ほとんどの人は何かしらの反応はあるだろう。
そして、そのほとんどは種明かしされずにショーが終わる。
そのとき、人々はどんな行動をとっているだろうか。
納得が出来ないと憤慨している人や感心している人もいるだろうが、たいていの人は笑っているのである。
騙されたのにも関わらずだ。
手品師は人々を騙し、タネが分からないように嘘をついてまで、一体何をしたいのだろうか。
彼等は、人々を驚かせ、最後には笑顔にさせたいのではないだろうか。
手品には壮大な秘密の仕掛けがあり、それを分からせないように巧みにショーを展開してゆく。
それはそれでとてもエネルギーのいることだろう。
純粋に客としてショーを楽しむ人もいれば、どこに種が仕込まれているかを見つけようと集中する人もいる。
自分は間違いなく後者の側であった。
タネが分かろうが分かるまいが、何の疑いもなく面白いものを見て楽しめるということが羨ましく思う時もある。
だが、自分の人生はそういう見方が出来なかった。
”何故、自分にはこんな事が起こるのだろうか…”
節目節目で、そんな人生マジックにおけるタネを解き明かすような探究が続いていた。
そして、ようやく、その仕組みが自分の中でハマったのである…
シナリオライター
人生というものを探求していても、答えはない。
答えを求めること自体が、この物質界に囚われている証拠になる。
ヒトには、物質的要素と精神的要素が存在する。
物質はカラダであり、精神はタマシイである。
ヒトは死んだらどうなるのか。
これは日本と海外では感覚の違いがあるだろう。
海外(特に欧米)では、死者をゾンビとして存在させるが、日本ではその概念はなく、死者は幽霊として存在する。
海外にもゴーストとする幽霊的な存在もいるが、日本にはゾンビに当たる死者が肉体のみで存在するという概念が無いように思う。
そう考えると、日本人は古来から、カラダはタマシイがこの地球での一時を過ごすための宿り木的な役割であるということが分かっていたといえるだろう。
カラダには執着せず、タマシイの存在を重要視している民族であるということ。
だが時代が進むにつれ、西洋的物質至上主義が現代の常識になってきた。
この時代に生まれてくる前は、一体どれだけの輪廻転生をしてきたのだろうか。
何故、この時代、この時、この場を選んで我が魂は降り立ったのだろうか。
高次元の神、もしくはハイヤーセルフがその答えを知っているだろう。
目に見える部分だけでこの世界を判断するにはあまりにも歪んでしまった。
この世界は幻想を抱かせるのが上手い。
飲食店に入り、写真を見ておいしそうだと注文して、実際に料理が来てその期待値を上回ることが一体どれほどあるだろうか。
ネットで素敵な着こなしの画像を見て注文し、実物を見て落胆したことはないだろうか。
全てが虚構だとは言わないが、今の時代は本物と偽物が巧みに絡み合い、それを見分けるためには相当なエネルギーを要する。
巧妙に仕組まれた詐欺構造に取り込まれないよう、人々は委縮している。
ヒトは騙されることが嫌なのではない。
そうだと分かっていても、最後にネタバラシをしてくれれば、全てが笑いに変わるのである。
タネが分かっているマジックは、分からなかった時に比べれば感動は薄れるだろう。
しかし、それが分かっていても楽しむことはできる。
小説や映画、コントや落語、コンサートや演劇など、ストーリーやオチを知っていたとしてもまたそれを味わうことが出来るのがヒトなのである。
同じ出来事のようでも、捕らえ方次第で無限に成長でき、感動できる。
人生が辛く、納得できないことが起こっている時には、カミが”いたずら”を仕掛けている最中だと捉えてみる。
それは人生の途中でネタバレになるかもしれないし、霊界に帰った時に、カミが”ドッキリ”と書いたパネルをもって登場するかもしれない。
そこで初めて「人生の真の意義」が分かるだろう。
この世はカミが仕掛けた人生劇場であり、見えない世界からいつも台本を書き足している。
それを知って演じるか知らずに演じさせられているかは、それほど重要ではない気がする。
繋がるカミがそれを楽しんでいるなら、多いに乗ってあげようではないか。
そして人生を通して、神性(ジンセイ)も成長させてゆく。
何があっても、それはカミのシナリオであり、霊性向上の伏線になる。
その謎が多ければ多いほど、ネタバラシが楽しみになってくる。
この世界を大いに味わってみよう。
カミは一人一人に適した課題のストーリーを綴り続ける。
その全てのミッションを受け入れ、最終話を迎え、カミと対峙した時に言ってやりましょう。
「ちょっと~やりすぎちゃいますか~」
カミはペロッと舌を出す。
堪えきれずに大笑い。
めでたしめでたし…
”かんながら~ たまちはえませ~”
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
本年もあなたは素敵です☆