カネとジカンを外すとき

僕たちがこの世に生まれ、死ぬまで共にするもの。

それは、カネとジカン。

今の世界は、この両者がタッグを組み、誰もこの勢いを止められない。

この二つのカリスマは、果たして人類にとって必要な存在だろうか。

僕たちが認識しているカネは金、ジカンは時間。

その世界を、少し抜け出してみる…

 

カネ=仮値

今の世界はカネで動いている、と言っても過言ではない。

カネは、二つの意味を持つ。

マネーとゴールドという存在。

マネーは、信用創造により生み出された数字上のカネ。

ゴールドは、希少な鉱物としての金。

今の世界におけるカネは、マネーを示している。

だがこのマネーは、ゴールドを元にして生まれた。

現代の僕たちは、このマネーを、一昔前はこのゴールドを誰よりも多く持つことが人生の幸福に繋がると信じていた。

皆、それをより多く手に入れるため、人生の全てを費やす。

それ程ヒトを引き付けるカネとは、一体何なのか。

何故、ヒトは、これほどまでにカネに執着するのだろうか。

その答えは、人類の起源にその構造が埋め込まれているからかもしれない。

人類の誕生はサルからの進化論ではなく、宇宙人が生みだしたという。

その宇宙人とは、惑星ニビルに住むアヌンナキという存在。

彼等は自分たちの星が崩壊の危機に陥り、それを回避する為には「金」という物質が必要だった。

それを探し求めて辿り着いたのが地球。

そこで彼らはどんどん地球を掘削し、金を手に入れていた。

だが在る時、彼等の労働者たちがあまりにも過酷なので反乱を起こす。

そこで指揮官は地球での労働力を増やすため、ある方法を取った。

その時代に居た猿人と自分たちの遺伝子を結合させ、在る生命体を生み出す。

それが、ヒトである。

僕たちがマネーやお金にこだわるのは、それを彼らに渡すために生み出された存在である、ということがDNAに記憶されているからではないだろうか。

社会で働き、お金を得、国に税金を納める。

ここになんの違和感も持てないのは、そうするために生み出されたただのツールであるという証拠だろう。

支配者がいて、それに隷属する大量の労働者。

この構造は太古に生み出されてから現在に至るまで、連綿と引き継がれているように感じるのは僕だけだろうか。

僕たちは、本当にマネーという数字が欲しいのだろうか。

僕たちは、本当に金色に輝く鉱石が必要なのだろうか。

彼等はプロの支配者である。

プロフェッショナルは、決してその存在をあからさまにしない。

しかし、徐々にこのプロのスキルが落ちてきているのである。

支配者から見て最高の奴隷たちは、本人たちが自分は奴隷だと微塵も思っていないということ。

だが、何かの変化により、ここに歪が起こってきている。

”ン…?もしかして、これって…”

自分は一体何のためにお金を稼ぐのだろうか。

ここに勤める為に自分は生まれてきたのだろうか。

カネとは金ではない。

仮の値。

権力者や資本家によって、数字上のマネーはいくらでも変動する。

そこに絶対的な価値はない。

全てはカリソメのアタイ

掘らされるだけ掘らされ、使えなくなったらポイ。

それが現実であり、真実でもある。

だが、この残酷なリアルにヒトは直ぐに納得できないのである。

今までの人生とは一体何だったのかと…

僕はこの真実に辿り着くのに45年かかった。

幼少期から学校や仕事、人間関係というものに何か違和感を感じ、ここまで生きてきた。

調べれば調べるほど、真実に近づけば近づくほど、無力感と絶望感に襲われる。

だが、諦めてただ見えない支配者の為に自分を偽り、マネーを掘り続ける歯車にはなりたくない。

このカネの正体を見破ってしまえば、足かせは外せる。

しかし、まだ片方だけだ。

もう一方に纏わりつくもの、それは…

 

ジカン=自感

この世界から時間が消えたらどうなるだろうか。

今僕たちは、時間という数字を認識しながら生活している。

7時に起きて、9時に出勤し、12時に休憩し、17時に仕事を終える。

小学校から時間割を与えられ、そこで学ぶ授業が決められる。

感情と規律。

この世界は、圧倒的に規律が勝っているのである。

次の授業イヤだなぁ、と感じても、規律という時間が生むも言わさずに推し進め、その場へと誘う。

この構造を幼少期に刷り込み、大人になってもそうするものだと納得させるためだ。

時間こそ、絶対的な存在だと。

ただ、時間そのものが悪いわけでもない。

これは、お金も同様である。

互いに時間を決めることで物事がスムーズ運び、社会を円滑にするためのツールに過ぎない。

最も長く続いた縄文時代の人々は、何時になったら起きて、何時になったから木の実を集めるのをやめよう、というような感覚だったのだろうか。

勿論時間という概念はあっただろうが、それは生活の目安でしかなく、自然な流れを感じながら日々を送っていたと考えられる。

僕は20代からイベントの仕事に携わっているが、この仕事は時間割通りにはいかない。

その場の流れを読んで、作業や休憩を取る。

ある程度の時間の縛りは在るが、現場の流れを取ることが多いので、僕自身はその方が性に合う。

時間という存在は時に便利で、時に窮屈である。

地球に存在する以上、絶対に昼と夜が交互に訪れる。

365回を一年とし、それを12の月に割る。

年・月・日・時。

時間とは、トキのアイダ

時に間があるとすれば、それは一体なんだろうか。

僕たちは、時間に動かされているのか。

それとも、僕たちが時間を動かしているのだろうか。

時間は決まったものように感じるが、そうではないのかもしれない。

楽しい時は早く、退屈な時は長い。

これは一体どういう現象なのか。

絶対的なパワーを持つと思われていた時間は、自分の中でそのカタチを変えた。

ということは、時間というのは、自分でコントロール出来るということ。

さらに言えば、自分が楽しんでいる状態のときには、時間は存在すらしていないということにもなる。

トキのアイダには、”自感”=”自らを感じること”が存在している。

心が躍り、魂が響くとき、時間は一瞬で消え失せるのである。

「時は金なり」「Time is money」

僕たちを闇の世界から操るものから与えられた「お金」と「時間」。

二つが合わさると途轍もないエネルギーを生み出し、この世界に君臨しているが、互いを分断し、それぞれの真理に迫ってみると、その正体が浮かび上がる。

カネ=仮の値であり、彼らが搾取するために有利な幻影を見せられていただけ。

ジカン=常に自分を感じることであり、時間によって動かされている訳ではない。

僕たち人類を生みだしたのは、高度な知性を持った宇宙人かもしれないが、永遠に彼らの奴隷として生きなければならないとは思わない。

今すぐにお金と時間は無くならないが、これからはその一つ一つの存在を、支配ではなく、ヒトが豊かに暮らしてゆくためには、それらをどのように使っていけるかを本当に考えなければ、永遠にこのカルマからは逃れられない。

自分には何が得意で何が好きか。

皆がそんな考えを元に助け合って調和する社会を作れば、誰かに時間を売り渡し、見返りにお金をもらうという従来の価値観は、徐々に消えていく気がする。

そんな世界に、僕は、生きたい…

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

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