
この世界には、目には見えない大きな枠組みがある。
普通に生きていれば、この構造には気づかないように出来ている。
だが、時に、ごく稀に、このシステムに違和感を覚える瞬間が訪れる。
周りを見てもほとんどの人たちは、それに気づかない。
いや、気づいてはいるが、何かに怯え、あたかも無関心を決め込む人たちもいるのかもしれない。
何も分かっていないか、分かっていて知らないふりをしているのか、分かったから伝えるのか。
この世界の常識は、誰の為にあるのか。
自分か、社会か、権力者か、それとも…
従順
この世界に誕生し一般家庭に生まれれば、ごく❝標準❞な人生コースを歩むだろう。
学校に行き、社会人になり、家庭を持ち、定年まで勤めあげ、悠々自適な老後を送る。
これが最高のスタンダードであり、人生のマスタープランだとされる。
自分よりも先にこの世界を知っている人たちに習い、同じレールを進む。
家なら両親や祖父母、学校なら先輩や先生、会社なら上司や役員など、既に自分より先にそのルートを辿っている人たちを見ながら人生を歩む。
良くも悪くもある程度の道が見通せるので、人生設計が立てやすく、アドバイスをしてくれる人たちも周りには多く存在する。
これが、人生において最も標準で、真っ当な生き方だと多くの人たちが認識している。
人は一人では生きてはいけない。
親が居なければ生まれては来れない。
学校に行かなければ友達も出来ない。
卒業できなければ就職も出来ない。
モテなければ結婚も出来ない。
お金が無ければ家にも住めない。
この、全てが手に入ってこそ、このレールに乗り続けられるのである。
逆に言えば、どれか一つでも外してしまえば、このコースに戻ることは非常に困難になる。
ほとんどの人がこのルートを歩むので、安心感は存在するが、零れ落ちた時に浴びる仕打ちを想像すれば、恐怖が自分を支配するだろう。
そしてこれは自分一人だけの問題ではなく、家族や周りなども巻き込み、全てを失ってしまう構造である。
一家の大黒柱が倒れれば、その屋根の下で生きる人たちは、全員巻き添えを食ってしまう。
何処かに従属することで得られる安心感は存在するが、それが崩れた時の衝撃は非常に大きくなる。
血統を継ぐため、子孫を残すことは誇らしい。
社会の一員になり、家族の為に働くことは美しい。
国家を守るため、命を捧げることは輝かしい。
自分よりも、誰かの為に生きることこそが、素晴らしい人生である。
これが、「従順」の人生コースである。
だが、全ての人たちがこの「従順」に乗る訳ではない。
生まれながらに支配者階級や莫大な財産を持った家系は、スタート地点が別にある。
大多数の人たちは、従順コースしか選べない。
人生において、先ず初めに出会う選択は、”進学”か”就職”だろう。
どの道、進学を選んだところで、後に就職が待ち受ける。
そして、このレールに乗る人たちの中から、ごく少数の人たちがここから外れてゆく。
意図的に降りる者や、振るい落とされる者、もしくは初めから乗らない者たちが存在する。
それが、「抵抗」…
抵抗
この世界は、どこかに従属しなければ生きてはいけない。
果たしてそれは、本当なのだろうか…
人は生まれてから死ぬまで、一体誰の為の人生なんだろうか。
家族か、友人か、地域か、会社か、金貸しか、社会か、国家か。
一体自分の人生は、誰に手綱を握られているのだろうか。
どんなに順風満帆な人生でも、どこか”オカシイ”と感じる瞬間が一度や二度は訪れる。
そのタイミングは人によって様々だろうが、それを受け止めるか流すかは自分で判断するしかない。
誰にでも思春期には、親や学校などの様々な規則に何故か反抗したくなる。
自分がこうしたいと思っても、ルールという枠組みからは出ることが出来ない。
そこである程度の所で諦めることも出来るし、抗い続けることも出来る。
従順に生きることが出来ない人間は、抵抗するしかない。
親に悪態をつき、モラルなどを気にもせず、職を転々とし、酒と暴力に塗れ、カネの虜になり、法に触れても逃げ続け、国や政治の責任だと吹聴する。
これも立派な抵抗に見えるかもしれないが、自分が思う「抵抗」ではない。
これは「従順コース」に未練があり、執着しているだけである。
真の「抵抗コース」は”裏を見る”ということ。
この世界には、常に”表と裏”がある。
ここ数年、様々な問題が浮上してきている。
ウィルス、薬、財政、裏金、コメ、移民、情報操作、メディア、電力、環境破壊、戦争、UFO、人口削減、AI、等々。
一般の人たちがそれぞれの出来事を知った時、どこまでそれを受け入れられるだろうか。
ワクチンは本当に安全で、効果があったのだろうか。
政治家は決められた予算内で、国民の為に活動しているだろうか。
国家間の戦争は、誰かが裏で仕掛けている可能性はないだろうか。
宇宙人やUFOは太古から地球に存在し、政府はそれを隠し続けているかもしれない。
メディアは真実よりも、むしろそれに気づかせないように機能していないか。
自分たちが知れることは、真実から何層も重なったほんの薄い一幕しか見ることが出来ない。
この世界の違和感に気づき、真の情報を集めていると、強烈な絶望感に襲われる。
全て、仕組まれていたのだと。
自分たちは、牛舎の中で飼われている乳牛である。
搾乳機でミルクを吸い取られるが、エサは毎日供給される。
何万頭の栄養が一か所に集められ、それがどの様になるのかは、知る由もない。
だが、絶望のウラには必ずオモテの希望が存在する。
表立って抵抗すれば、どこからか必ずマークされる。
静かに沸々と、火種を絶やさず、時を見計らい、準備をしておく。
「従順」な世に生きながら「抵抗」も持ち合わせる。
どちらも腑に落とせば、次の扉が見えてくる。
それが、「創造」…
創造
創造とは、何かを生み出すこと。
従順な生き方では、このコースの存在すら気づくことが難しい。
この世界には、表と裏が存在することを真に悟った時、それは霞みだす。
今見えている世は、誰かが創った世界であり、自分の為の世界ではない。
他人の世界に生きていて、果たして自分が幸せになれるだろうか。
人は、自分で世界を創造できる。
それに気づかれないよう、巧妙に仕組まれていた。
この世界は、ロールプレイングゲームのようである。
試練を乗り越え経験値を積み、レベルアップをしてゆく。
ある程度のレベルに到達すれば、次のステージが待っている。
現れる怪物たちは、自分が生み出した恐怖が実体化したもの。
それを乗り越える度に魂が磨かれてゆく。
人生とは、魂の修行場。
どのコースで学びを得るかは、その魂が肉体に宿る前に決めてきている。
「抵抗」のステージに行きたいのに、いつまでも「従順」に居続けていると魂側からサインが送られる。
「創造」のステージで学びたいのに、いつまでたっても移って来ないと、かなり強引にでもそこに移そうとする場合もある。
それが、肉体や精神へのストレスというカタチで。
ヒトは、魂と体が融合した存在。
魂の存在を認識しなければ、この世界は知らない誰かに支配される。
日本人には、他の民族にはない独自の精神性があるという。
日本の神々は、絶対神ではなく、至る所に存在する。
それだけ神が身近に存在し、自分と一体化しやすいことになる。
創造とは、何かを創り出すと同時に、対極の統合でもある。
従いも、抗いも、どちらも併せ呑む。
0度から始まり180度まで進み、違うルートでまた帰ってくる。
平面的に見れば同じ場所だが、0度と360度では階層が違っている。
見えない世界を確かに感じ、見える世界へと表現する。
どんなカタチでもいい。
それが自分の魂とのセッションによって生み出された、唯一固有の世界。
無の中に有が存在し、有の中に無を見い出す。
物質がこの世界の全てではない。
今記しているこの文章も、文字という物質の集合体。
だが、そう記される前には、魂意識でその言霊が生み出されている。
何もない世界に、新たな意識を響かせる。
現状の世界と創造の世界を混ぜ合わせ、愛と調和に満ちた世界を表してゆく。
そんな世界に、揺らぎたい…
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今日も貴方は素敵です☆