ヒトはなぜ己の事を「自分」と呼ぶのだろうか。
自らの存在は一人である。
にもかかわらず、なぜ自らを分けると書くのか。
ヒトは元々何かの大きな塊の存在であり、それが分かれたということか。
それとも一人の中に何か分かれる部分があるのだろうか。
そんなことを巡らしてみる…
創造主とヒト
ヒトは一体どこから生み出されたのか。
一般的にはサルからの「進化論」とされているが、これが絶対的なルートであるということに少し違和感を覚える。
サルとヒトが非常に近い存在であることは感じるが、今の人類を見ているとどうもヒトだけが地球上で特殊な生き物のような気がした。
地球が形成され、生命が誕生し、動植物が営みを形成する。
自然と生き物との間で微調整を繰り返し、全てが調和し続けていた。
だが、何かのきっかけでヒトなるものが誕生し、この大いなる調べに変化を加えてしまった。
これは本当に地球上で自然発生的に生み出されたものなのか。
それとも、別の星から来た何者かによる操作によって誕生したものなのか。
どちらにしても、事実は巨大な権力により覆い隠されたままである。
もし仮に宇宙人がヒトを創造した神とする。
だが、宇宙から来た生命体が、本当にヒトと同じような身体の構造をしていたのだろうか。
とてもグロテスクで言葉では到底表現できない容姿だった可能性もあれば、美しい光に包まれた神々しい姿だったかもしれない。
そして、彼等は何のために人類を生みだしたのだろうか。
何かを新たに創造したからには理由があるはず。
宇宙人が自らの遺伝子をいくつかの生物と掛け合わせ、今のところ最も適応しているのがサルということも考えられる。
僕たちが宇宙人という名の神によって生み出されたとしたら、その創造者の真の目的を理解できるだろうか。
自分とよく似た構造を持つ生命を誕生させた理由は一体どんなものなのだろうか。
種の保存、奴隷、家族、ペット、事故、ゲーム…
様々なことが思い浮かぶが、きっとどれも違うような気がする。
ヒトは神にはなれない。
しかし、ヒトは神になりたいという欲望を消し去れない。
そこでヒトが生み出したのが人工知能・AIである。
やがてAIが自我を持ち、ヒトを創造主と位置付ければヒトは神としてのポジションを手にすることが出来る。
これを見た神は、ヒトをよくやったと称賛するのか、それとも愚か者と非難するのか。
過去に起こった大洪水は、傲慢な人類を一掃するために神が起こしたとされている。
この人類の未来は、またもや大洪水に飲み込まれるのか。
彼等はいとも簡単に我らを殲滅し、また新たに創造するだろう。
自らを分けて、それらを再び繰り返す…
肉体と魂
ヒトは、肉体だけの存在だろうか。
物質のエネルギーに取り囲まれた世界では、目に見えて、かつ質量のあるモノが基準になる。
人類は自然にあるモノを工夫し、生活の役に立ててきた。
初めは手作りだったものが、機械の発明により大量生産が可能になる。
そしてそれを生産するうえで、人々の暮らしは豊かになった。
しかし、それと引き換えに失っていったものもあるだろう。
何を手にし、何を失ったかはそれぞれに違うはずだが、その過程で間違いなく疎かにしたのが「精神」、いわゆる「魂」の存在ではないだろうか。
目に見えるものの象徴が「肉体」。
目に見えないものの象徴が「魂」。
肉体がこの世に誕生するということは、魂も同時にそこに存在している。
だが、この時代に生きていると、何故かあまりそれを実感しにくい。
肉体や物質を有。
精神や空間を無。
本来この宇宙、そして地球は調和によってその時を重ねてきた。
そう考えれば、今の世界はあまりにも不均衡ではないだろうか。
「有>無」という現在のバランスから、「有=無」もしくは「有≦無」くらいに軌道を変えていくことで、この調和が保たれるはずである。
無尽蔵に生み出されたモノたちは行き場を失い、互いに押し付け合いながら、誰も近づかない場所へと流れ着く。
物を作るのは人の肉体であり、そこには魂も宿っている。
肉体だけで生み出した物と、魂が肉体を通じて生み出す物には必ず違いがある。
見た目や重さは同じでも、その存在から放たれるエネルギーは、きっと感じることが出来るはず。
自然がもたらす豊かな旋律は、ヒトの魂と響き合うように結ばれている。
この世界における自然は、一体自分にどんな音色を奏でているのか。
それを一人一人が感じ取ることが出来れば、この世界も調和を取り戻すだろう。
自らを「肉体」と「魂」に分ける。
互いのボリュームを常に意識し、この世界に漂わせる。
本当の「自分」になるために…
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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