「安さ」がもたらす見えない仕掛け

ヒトは、モノを買う時やサービスを受けるときにお金を支払う。

ではそれを行う判断はどこにあるのだろうか。

それはやはり「値段・価格」になるはず。

そのものの価値がその値段に相当する、もしくは買った方が得だと感じれば支払うという行動になる。

ヒトは、潜在的に損をしたくないと思う生き物。

出来れば安いモノを選びたい。

そしてヒト(消費者)がそれを選択し続けた結果、社会はどうなっただろうか…

高売低買

社会で生きる人には常に2つの面がある。

それは「生産者」と「消費者」。

仕事をすることは、何かを生みだす生産者であり、買い物をするときは消費者である。

ヒトが理想とするのは、モノを出来るだけ安く買い、出来るだけ儲けを大きくすることだろう。

だが、果たしてそんなことが可能なのだろうか。

社会は網の目のように絡まり合い、誰がどこでどれだけ生産、消費したかが分かりにくい。

ただ、誰かがお金を使えば、そのお金は誰かの元へと渡る。

その連鎖がこの世界の経済になっている。

世界中のヒトが高売低買をしようとしたとき、それは成り立つだろうか。

自分は損をしたくないから出来るだけ安いものを買う。

自分が儲けたいから少しでも高い値段で売る。

残念ながら今の社会は、こんな自分中心の考え方で構成されているような気がする。

その結果、経済的格差が起こり、社会は二分され、歪な形へと変わってしまった。

僕たちは学校へ行き、教育という名のレールに乗せられ、大人という世界に運ばれる。

ただ、教えられたことは本当に真実だっただろうか。

今の大人が都合のいい若者を育てるために創り上げられた、巧みなプログラムだったのではないだろうか…

弱体強化

僕たちは、機械ではない。

ある時、どこかの時点で、誰かが機械という発明をし、ヒトより優れた存在と気づく。

そして今すぐ全てを機械化するのは不可能と判断し、これから生まれてくるヒトや学び初めのヒトをターゲットにした。

何も疑わず、ただ与えられたことを行動し続ける。

自分自身がどれだけの価値があるかを教育の中で気づかせ、それを育んでゆけばきっと今とは違った未来が訪れていただろう。

お金や経済といった仕組みは、それを学ぶことの出来る環境にある一部の人たちだけである。

一般人として生きている人たちには、それを知ることはかなり難しい。

僕が経済ということの本質に気づき、学び始めたのは40歳を過ぎてから。

高校を卒業して専門学校に行き、就職もせず、人材派遣の仕事を十数年続けた。

35歳から独立し、今に至るが、自分は経済学やお金の成り立ちなど考えもしなかった。

お金と関わりのない人生など無いのに、それについて全く無知だったことに気づく。

そしてその学びを深めていくと、だんだんとこの世の仕組みが見えてくるのである。

お金は、借金によって生み出される「信用創造」と呼ばれるシステムであることが分かる。

これが分かると、経済という世界が一気に可視化してくる。

ただ、僕たちは一般人は、それが分かったからといってお金持ちになれるわけでもない。

このシステムを使って僕たちを弱体化させ、一部の人たちを強化しているという事実を理解しているということが重要なのである。

本当の黒幕は、決して表舞台には現れない。

国や経済を動かしているのは、その国の政治家や官僚、有識者たちではない。

一部の特権階級の人たちにしか与えられない情報や権利によって、僕たちは管理、統制、支配されているのである。

それに気が付かないように、ゆっくりと、じっくりと、確実に。

その最たるものが「安物」なのではないだろうか…

感性交換

一般人は、安いとそれに飛びつくように感情的になる。

だが、冷静になって考えてみる。

それは何故、安いのかと。

全ての安いモノが悪いとは言わないが、なぜそれがそんな値段なのかを一度考えてみる。

本当にお客様に喜んでもらいたいと思って値段設定をしているところもあれば、薄利多売で儲けるために下請けに圧力をかけているところもあるだろう。

そのモノやサービスがどんな経緯で生産されているのかを、今一度考えてみてはどうだろうか。

生産地、原料、生産者、こだわり、思い、理念、歴史、特徴、評判、全てにおけるストーリー。

僕たち消費者が何も考えず値段の安いモノだけを買い続ければ、いつかそれが基準になり、売る側はさらに安いモノを作らなければならなくなる。

そしてそれを作るために、原材料や人件費を削り、結果「安かろう悪かろう」という流れが出来てしまう。

今の日本は完全にこの状態である。

このまま安いモノを買い続け、所得が得られなければ、この国はどうなるのだろうか。

ここであえて別の見方をすれば、誰かが”この国をこうさせたかった”ということも言えるだろう。

世界における日本の影響力を削ぐための工作である。

歴史、戦争、天皇、軍事、教育、神話、武士道、国債、為替、宗教、自虐、税金、緊縮、非正規、食事、輸入、情報、家族、結婚、金融、政治、エネルギー…

これらを複雑に組み合わせ、巧妙に仕掛けているのは一体誰なのか。

そういった視点を持つことも、これからの時代は必要になるだろう。

そしていつか本当に仕掛けている人物や団体が分かったとしても、そこに復讐心を抱いてはいけない。

これからはそういった仕掛けに、引っかからないという信念があればいい。

詐欺が無くならないのは、騙される人がいるからだろう。

社会で生きるほとんどの人たちが、「全てお見通し」という視点を持っていれば、誰かを騙してお金を稼ぐことが難しくなり、結果、健全な価値交換しか残らなくなるかもしれない。

僕たちに悪人を裁く権利はない。

僕たちの権利は、知って、学んで、実践し、自己を形成してゆくこと。

高いや安い、善や悪といったどちらかを選ぶような概念から早く抜け出し、ヒトが機械的ではなく、感性や精神を主体とする生き方を導き出す時代に来ている。

太古から日本人に備わる和と結びの心。

それを世界中が携え、人々が笑顔で交流する社会。

そんな未来を見据え、僕が今日出来ること。

価格表に「0」を一つ、追加してみよう…

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

今日も貴方は素敵です☆