革生道

人類は、太古から動物と共に生きてきた。

生命を分かち合い、共存しながら今日まで至る。

生き物を狩ったり、育てたりしながらその命の尊さを感じながら生きてきた。

そして時代が農業・酪農から、産業・工業へと移り変わってきている。

ヒトが生きる為には、衣食住が必要である。

その為には生き物が必要になり、ヒトがヒトとして生きる為の”道”を歩まなければならない。

人の世には、剣道・柔道・弓道・合気道・華道・茶道など様々な道がある。

僕が歩みたい道とは一体どこにあるのだろうか…

そして現在、朧気ながら見えてきた道がある。

それが「革生道カクセイドウ」。

 

革の本体

漢字で「革」というのは、鞣された皮や加工された皮の事を示す。

どちらも「カワ」という響きなので、僕が普段使う時は”皮”をスキン、”革”をレザーという風に表現している。

鞣しというのは、このスキンをレザーに加工することを指す。

そして革という字はもう一つの意味を含んでいる。

それは”革命”や”改革”といった大きな変化を表す時に用いられる。

もっと他に適切な漢字があったのではないかと感じるが、そこには何故か”革”の文字が。

人類にとって、スキンからレザーへと変化させたことは、本当に大きな衝撃ということが、この言葉の意味から読み解ける。

僕たちが普段目にする革製品は、すべて生き物の皮膚組織から出来ている。

この世界には様々な素材があるが、以前は生命が宿っていた生き物の肉体の一部が素材となっているものが革以外にあるだろうか。

原始の時代から、人類は生き物を食し、その皮を纏ってきた。

この皮という存在を革に変える術を、現代人は資本主義という流れのもと、大量に生産し始めた。

現代における鞣しは、クロム鞣しとタンニン鞣しが主流である。

国や地域のタンナー(鞣し業)によって細かい部分は様々だが、クロムは柔らかく、タンニンは硬く鞣した革になる。

今の経済の流れは、大量生産大量消費であり、インターネットによる上位表示や広告販売による市場がグローバルに展開されている。

その結果、コストカットや環境破壊による価格競争の弊害が徐々に明るみに出てきた。

全ては経済合理性を追求したこの世界の流れにより、本物が脇に追いやられ、純粋ではないモノたちがそのポジションに居座ってしまうかもしれない。

皮革産業もその渦中にいる。

アジア圏で安く鞣し、それを加工して全世界の市場に売りさばく。

この現状を踏まえたうえで、自分はこの「革」という存在とどう向き合って生きてゆくべきか、そんなことをいつも考え、感じていた…

 

レザークリエイター

皮を革にするのはタンナーで、革を製品にするのはクラフターという。

このクラフターというのは、革を扱う人間なら基本そう呼ばれる。

何かそこにひとくくりにされてしまうことに少し違和感を感じた。

僕はパートナーと共に「姫路レザー La storia」として活動しているが、お互い扱う素材は同じでも、生みだすものは別のものになる。

自分にしかできない物、自分にしか創れない物を生み出したい。

そんな考えを追求していった結果、アートという世界に辿り着いた。

ただ僕自身、芸術学校を出たわけでもなく、その世界を何も知らなかった。思うが儘に革と向き合い続けた結果、アート的なるものに近づいていたと言った方が正しいのかもしれない。

鞄や財布などの革製品を作る時には、先ず型紙を作成し、その設計図に従って作業を進めていく。

これが嫌という訳ではなく、思い浮かんだまま造形していくことの方が、より自分らしい作品になる事が分かってきた。

革は丈夫で長持ちし、使うほどにその形状が徐々に馴染んでゆくというのが特性なので、現在でも鞄や靴、ベルトなどといったものに多用されている。

機能性があってこその革。

僕はここの真逆を行きたかった。

ただそこに在る。

革の流れを見極め、声を聞き、対話する。

そこで生み出されたものは、ただそこに在るだけ。

その流れを繰り返しているうちに、ふと、ヒト型をモチーフに造形してみた。

それが「レザンチュ(革人)」への第一歩になる。

革製品を買う時、ほとんどの人は、それが生き物の皮膚から出来ているとは感じないだろう。

牛革の鞄を手にしたとき、その牛の姿や大きさ、鳴き声や表情が思い浮かぶだろうか。

その生き物のことをその革から感じ取り、情緒が乱れるだろうか。

ごくまれに超繊細な人もいるかもしれないが、革製品を目にしても特に何もネガティブなものは感じないはずである。

これは皮を加工する過程で、そう思わせないようにしているのだろう。

時代と共に技術が進歩し、革から皮を連想させないよう様々な工夫を凝らして人々の暮らしの為に革という素材を進化させてきた。

だからこそ革製品は高額であり、それを使ってくれる人への愛がある。

生産者は、本来、良いものだけを販売するはず。

美味しいイチゴが出来たからみんなに食べて欲しい。

いい曲が出来たからみんなに聞いて欲しい。

可愛い服が出来たからみんなに着て欲しい。

それぞれの地域や才能によって生み出された、”良いもの”を販売することが経済の基本ではないだろうか。

それが現在では完全に歪められたと感じるのは僕だけだろうか。

だからこそ、この歪な経済システムには乗りにくい、乗れない、乗りたくない。

そんな思いがずっと深いところで流れている。

それが分かったうえで、僕はレザーによる造形を追求し、クリエイトし続けている。

今は無価値かもしれないが、きっと時代が巡り、それが人々に受け入れられると信じている。

そしてある時、革というものの原点にあたる「白鞣し革」に出会うのである…

 

シャーマニズム

僕は姫路という地で生活をし、10年ほどになる。

そこで初めて姫路の高木地区が、鞣しの本場だと知った。

では何故ここがその一大産地となったのか、ということに初めはあまり関心が無かった。

元々この場所には「白鞣し革」という高木地区に流れる市川でしか出来ない革づくりがあると聞いた。

それはとても重労働で、その仕事に就いている人たちは差別的な扱いを受けていたことも分かった。

この地域に生れた人たちは鞣し業をすることが、半ば運命付けられているような流れもあったらしい。

そして明治時代あたりから段々とクロム鞣しの技術が日本に導入され、高木地区の人たちも、過酷な白鞣しからクロム鞣しへと移行していった。

昭和のバブル期は本当に景気が良かったらしいが、今では幾つもの廃工場がそのままの形で残っていたりする。

そんな状態でも、業界では姫路=タンナーというポジションは未だ健在である。

そうやって日々革と触れていると、姫路と革の繋がりが少し気になり始めていた。

そんなことを想っていると、それが思いがけない形でやってきた。

ここを語るとかなり長くなるのでまた改めて綴るとしよう。

縁があって現在は、ここ高木で生み出された市川の川漬け法による白鞣し革を再現するメンバーの一人として取り組んでいる。

この白鞣し革というものは、全て天然のものだけで鞣してゆくのである。

水・太陽・塩・菜種油。

これを数ヶ月かけ、人力で鞣してゆく。

最も特徴的なのは、川に毛の着いた皮を流し、毛根が緩んできたときを見極め、毛を削いでゆく。そして裏の油や肉の部分を取り除き、塩漬け、熟成、天日干し、油入れ、ヘラがけ…という工程を経て白鞣し革が出来上がる。

文字で書くのは簡単だが、実際に一年ほどかけてやってみたが、まだまだ上手くはいかない。

革としての完成度は未熟だが、自分の中の”革”というものがこの白鞣し革を作ることによって向き合い方が変わってきたのである。

自らの手で、自然の流れの中で、それを白い革へと変化させていった。

そしてこの鞣すという行為は、神事ではないだろうか、と感じ始めた。

その昔、身分制度があり、その下層の穢多と呼ばれた人々は、死んだ牛馬や処刑された死体を処理することで生計を立てていた。

この穢多という言葉は”穢れが多い”と書く。

僕自身はこれをネガティブに解釈はしていない。

寧ろ選ばれた特殊な才を持った人たちに与えられた、神聖な称号だったのではないかと今は感じる。

魂を失ったものたちを引き受け、その御霊を鎮める人たち。

そんなシャーマニズムが、ここにはあるように感じる。

僕たちは全てが当たり前に様々な物が目の前にあるように思うが、それは先人たちが言葉に出来ないような生活を送っていたからこその今がある。

生命を感じ、その魂を鎮め、己の魂を合気し、革へと浄化させてゆく。

これが、我が魂を活かす道。

互いの魂を感じ、またこの世に循環す。

それが、「革生道」ナリ…

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

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